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ひとり映画感想文集

再生ボタンを押す力を得る:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol3』

 

 誰にでも、悲しい曲を聴きたくなる時があるだろう。大事な局面で自分を鼓舞するために、壮大な音楽や自分にとって意味のある音楽を聴くこともあると思う。それらはひょっとしたら外側からは間抜けに見えるかもしれないが、自分は大真面目で、感情を抑えたり爆発させたりするのに重要な、大きな意味のある行為だ。
 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol3』はそういう映画だ。
 
 GotGを観てきて今までここにずっと気づかなかった自分もどうかと思うのだが、本シリーズで流れる音楽は、ほとんどの場合でいつも誰かの手によって流されている。
 映画の音楽には2種類ある。物語内の音楽と物語外の音楽だ。通常私たちが映画を観ている時に一緒に聞いている音楽は、主に映画の演出として流れる物語外のものである。例えば、『マイティ・ソー/バトルロイヤル』(2017)の冒頭で流れるレッド・ツェッペリンの"Immigrant Song"は観客の私たちだけに聞こえるものであって、スクリーンの中にいるキャラクターたちも聞いているわけではない。
 一方、物語内の音楽とは、スクリーンの中のキャラクターたちにも聞こえている音楽のことだ。『アイアンマン3』(2013)の冒頭では、トニー・スタークがスーツの性能テストをする場面で、J.A.R.V.I.S.に指示してジングル・ベルのレコードを流す。こちらはスクリーンの内外両方に聞こえている音楽であり、観客はキャラクターたちと音楽を共有できるというわけだ。
 
 この「物語内の音楽」の演出は、意外と少ない、というか、はっきりとそう判別をつけるのが難しい場合もある。MCUでは、似たような例で『キャプテン・アメリカシビルウォー』(2016)のスパイダーマンの初登場シーンや『アイアンマン2』(2009)でローディとトニーが大喧嘩する場面があるが、ここで流れる"Left Hand Free"や"Another one bites the dust"はかなりシームレスな扱いになっている。前者はピーターのイヤホンから流れている曲かと思いきや、フェードアウトしてそのまま台詞のやり取りに移り、後者は途中から別の曲に変わっているからだ。
 
 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズは、この点ではかなり特異だ。つまり、「劇中流れる音楽がどこからやってくるものなのか」がかなり意識されているのだ。さらに付け足すと、それらは皆キャラクターの手によって流されたものである。
 思えば最初の映画はそうして始まる。惑星モラグに立ったピーター・クイル(クリス・プラット)は最初のショットでは得体の知れないヘルメットを被った男と演出されるが、親しみやすい顔が出てきたその次にはヘッドホンをつけてウォークマンの再生ボタンを押し、"Come and Get You Love"とともにタイトルが出るのだ。
 ここにおいては、音楽とはキャラクター自身の意思で彼らの手によって再生されるものだ。『vol3』は、この「再生ボタンを押す力を持つ」ことがいかに重要なものなのかがことさらに意識されている。
 その重要さを背負うのは、もちろん今作で物語の主軸になるロケットだ。今まで主にピーターにあった「選曲権」「再生権」のようなものが、ロケットに移っていく。それは今作の主人公がロケットで、ライラが言ったように「気づいていないかもしれないけど、これはずっとあなたの物語」であったからに他ならない。
 今回の冒頭で流れるのはレディオヘッドの"Creep"だ。はみ出しものの気持ちを歌った痛切な歌詞がまさにロケットの苦しみを表したかのようだ。この曲は彼がピーターから渡された音楽プレーヤーから流れているものであり、明らかにロケットの手によって流されたものである。キャラクター「が」流した曲というところが重要なのだ。彼の感情に私たち観客はCreepを通してアクセスし、強い繋がりを得ることができる。
 
 自分の意思で、自分をカッコよく、悲しく、楽しく、感動するために、演出するために音楽を流す。彼らは自分で再生ボタンを押す力を得ることで、自分の物語の語り手となることができる。自分の人生の主人公になることができるのだ。
 
 『アベンジャーズ:エンドゲーム』(2019)では、この「自分で音楽を聞いて自分で盛り上がっている」人をからかうような場面がある。インフィニティ・ストーン奪還のために2014年にタイムトラベルしたネビュラとローディは、"Come and Get You Love"を聴いて踊っているピーターを外側から見て「アホだ」と言う。
 確かにそれはそうで、外側から見たらヘッドホンをつけて音楽に乗っている人というのは結構アホに見える。しかし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』とは、「アホに見えてもいいから音楽を聴いて自分を鼓舞し、自分の物語を語り、自分を愛し愛される人がいる銀河を救う」物語なのだ。特に本作は、「はみ出しものの自分を愛し自分のために生きる」祝福の物語なのだ。最初からそうだったのだ。