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ひとり映画感想文集

窓を見る:『影裏』

『影裏』 2020年 日本 134分
監督:大友啓史
脚本:澤井香織
原作:沼田真佑『影裏』
 
粛々と綾野剛ウォッチングを続けています。
 
 
 
○人がいなくなるということ
 割と好きな映画かもしれない。綾野剛松田龍平がなんだか仲良くなっていく話、ぐらいの認識で観始めたけれど、主演二人の感情の機敏がとてもよくできていて、台詞は少なくとも集中して観ればどんな気持ちかがわかる。よい映像だったと思う。
 話の筋や結末の曖昧さがよく指摘されるそうだけど、本作は「いなくなった人が見つかった/見つからなかった」結果の話ではなくて「人がいなくなる」という出来事の話であると思うので、たぶん日浅(松田龍平)がどうなったかというのはあまり関係ないのではなかろうか。それが本作の震災の喪失に対する姿勢というか、表現の仕方であるのだと思う。だって震災は「人がいなくなる」ということが数え切れないほど起きた出来事だったのだから。残された今野(綾野剛)はニジマスと一緒に思い出して、川に流していくしかない。
 
○食う、食われる
 当たり前だけど、釣りとは生き物に生き物を食わせて獲る行為なのだなと思った。作中にはいろいろな「食う、食われる」の描写があり、おそらく人間を囲んでいてそれを飲み込むこともある自然(=水)のことを言っているんだろう。が、個人的にはそういう「食う、食われる」の関係が日浅と今野、もしくは日浅と周囲の人間の間にもあって、結構地続きのことのように描かれている印象を受けた。
 父親から学費や仕送りと称してお金を騙し取っていたり、営業の仕事の契約を同じ人に何回も取らせたり、日浅は人間関係においては「食う」側の人間である。劇中、日浅が今野に石榴を渡して食べさせ、「石榴の実は人の肉と同じ味がするんだって」という場面があるが、日浅が「食う」人であることをよく表した台詞だと思う。「食われる」方である今野は、自発的には一粒をちびりと食べることしかできない。
 
○裏っかわの一番濃いところ
 いちど日浅にキスをしようとした今野に対して、日浅は「知った気になんな」と言う。「おまえが見たのはほんの一瞬光が当たったとこだけだってこと」と。先に起こる震災がきっかけで今野が知る、日浅の「影」の部分があることを示唆する台詞である。日浅は続けて「人を見るときは裏っかわ、影の一番濃いところを見んだよ」と言うが、これを聞くと、今野に無理やりキスをされた翌日もけろっとしている日浅のことが少し分かった気になれる。
 つまり、日浅はあの夜露出した今野のセクシャリティを「裏っかわ」と捉えたから、翌日彼に「おまえの川連れてけよ」と言うのだ。いつも勝手に家に来たり勝手に約束を取り付けていく日浅が、今野に「連れて行け」と言うのはたぶんここが最初で最後だ。「おまえの川」とは、日浅の影響で釣りを始めた今野が自分で見つけた上流のスポットのことだ。上流のもっと深いところ、その日は雨の後で淀んで影のように暗い色になっていた、深みに連れて行けよと言ったのである。
 
○明るいところを見たい
 上に書いたように、映画のテーマの一つでもある「光が当たった明るいところ/影の暗いところ」という概念はそのままライティングに反映されていて、照明が非常に綺麗な映画だった。場面によって画面の明暗の差が激しく、テーマとつながっている。
 特に最後の契約書を見て今野が泣く場面では、帰宅して封筒を見た今野がソファに座って封を開け中を読み、窓を見つめて慌ただしく書類を探し、日浅の筆跡を見つけて泣く一連のシークエンスの間、画面が明るくなったり暗くなったり極端なグラデーションを繰り返す。ここは、日浅の「影」の一部を知った今野が、日浅の「どこを見るのか」を逡巡せざるを得ない場面なのだと考えた。そして泣いている今野の顔に窓から強い光が差すということは、諸々鑑みて結論めいたものを出すのなら「明るいところを見たい(見たかった)」というようなことになるのだと思う。泣いている今野が見ているのは、座っている部屋の場所からして光が差している窓の方だ。髪が短くなった日浅がふらりと帰ってきた方を見ていたのではないかな。